朝倉が玄関の呼び鈴を鳴らし、インターホンに長門が出たらしく、朝倉が、 「有希? わたし、朝倉涼子」 そう告げると、一瞬の静けさの後、バスケットのドリブルを早くしたようなダンダンと廊下を踏み鳴らす音が近づいてきた。 なんとなく予想は出来たんだが、俺の予想したしたタイミングよりかなり早くドアが開いてそいつに胸ぐらをつかまれた。その瞬間、朝倉にフルーツポンチの容器を預けた俺の運動神経を誉めて欲しいね。 玄関まで俺たちを迎えに来たのはいうまでも無いハルヒだが、いや迎えに来たんじゃねえ。 あいつは俺を引っ掴むなり、引きずるように俺をパーティー会場になっている部屋まで連行した。いやあマジで怒っているハルヒはこっちでは初めてだ。 「あのな、ハルヒ」 「黙りなさい」 まあ、いいだろう。話はハルヒだけにしても仕方が無いからな。 リビングでは残りのメンバーがお待ちかねだった。 パーティー会場にはいつもの薄笑いな古泉、なにやら心配そうにこちらを見ている朝比奈さん、俯いてじっとしている長門、そして鶴屋さん。何故かパーティー中と違ってテーブルの向こう側に行儀良く並んでいる。 「そこに座りなさい」 「ここか?」 俺を引っ張ってきたハルヒは俺を正面に座らせた後、皆の真ん中に割って入って座った。 テーブルを挟んで俺が皆と向き合う構図だ。 長門が戻った後どんな会話がなされたか知らないが、どうやら俺を糾弾するような流れになっているらしい。言っとくが俺は被害者だぞ? 「あ、皆さん……」 遅れて朝倉がフルーツポンチセットを抱えて姿を見せた。 「涼子ちゃんはこっちよ」 ハルヒはそう言って朝比奈さんにずれてもらって座る場所を開けた。 だが、なんで朝倉は当然のようにそっち側なんだ? 「あの、これを置いてきますから」 そう言って朝倉は一旦キッチンの方へ消えた。 早くしてくれ。 これだけの人数と黙って対面しているのは正直辛い。 俺はいままでいい加減に、まあ格好良く言えは凡庸に生きてきた。だからこんな境遇に陥ったことなんていままで一度も無かった。 誰でも小中学校でクラスの誰かが皆に糾弾される場面に一度となく出くわしていることだろう、俺も例外なくそれを数回経験した。そのいつだって俺はされる側でもする側でもなく傍観者だったのだ。 いや、元の世界ではハルヒに会ってからは唐変木な出来事に巻き込まれまくってたわけだから、こちらの世界ではその元凶たる設定がぶっ飛んだ連中が居ない分、方向性がシフトしたトラブルが皺寄せのようにまた俺の身に降りかかってきているのかもしれないが。それこそいい加減にしてくれ、世界。 戻ってきた朝倉は、「わたしはこっちですから」といって俺の隣に正座した。 だがそれを見て、ただ怒っていただけに見えたハルヒは口がペリカンのようになった。何が面白くないんだ。 「まあ、いいわ」 朝倉を一瞥したハルヒは俺に向き直って言った。 「説明してもらおうじゃないの」 「待て、その前に、何を聞いた?」 一応、訊いておこうと思ってそう言った。 「なにって、あんたが涼子ちゃんになんかしたんでしょ!」 「長門がそう言ったのかよ?」 俺がそう言うとハルヒはぐっと言葉に詰まった。が、すぐに続けた。 「言ってないわ。でも想像はつくわ!」 想像だけで俺を糾弾しようってのか? なんてやつだ。 さて、じゃあシナリオ通りと行きますか。 「あー、まずだな、俺が朝倉のことを……」 そこで俺の言葉を遮るものが居た。 「もうーボクちん、気が早いよっ! もてあます青春っ! 早まっちゃったら犯罪なんだよっ!」 鶴屋さん、気が早いのはあなたです。というか話を聞いてください。 朝比奈さんは胸の前で手を組んで目を潤ませているし。というか、やるせなくなるので哀れむような目は止めてください。 ハルヒが横目で睨んで取り合えず鶴屋さんは大人しくなった。 「つ、続けていいか?」 早くしろ、とハルヒが視線を送ってくる。 「俺が朝倉のことを妄想性人格障害(パラノイア)、だっけか? 要は病的に危ない奴だと思い込んでいてな?」 「……それで?」 ハルヒは腕組みして半眼で俺を睨んでいやがる。 ほれ、と俺は朝倉を肘でつついた。 「わ、わたしが、ナイフをいつも隠し持っていて隙あらば、人を襲うみたいに、涼宮さんそう言いましたよね?」 話を振られて予想外だったのかハルヒは険のこもった目を見開いた。 そして瞬きを数回した後、朝倉の問いに答えた。 「言ったわ」 「でな、それは俺がハルヒに言ったんだけど、そのなんだ……」 俺が次の言葉を選ぶのに迷って口篭もると、朝倉が訴えるようにして言った。 「何処を如何やったらそんな話になるのか判らないわ。なのに違うって言ってもキョン君、全然態度を改めてくれないのよ!」 「ちょっと待ちなさい、その話と有希ちゃんが泣いて帰ってきたのとどう関係するのよ!」 ハルヒが痺れを切らしたように話に割り込んできた。 まだ続きがあるんだよ。おまえは黙って人の話を聞くって事ができんのか? 「……ない」 長門がぼそっと言った。 「何? 有希ちゃん」 「泣いてない」 ハルヒの表現には誇張があったようだ。 「まあ、いいわ。じゃあ、悲壮な顔して戻ってきたのよ。これは有希が何かされたか、ジョンが涼子ちゃんを襲ったとしか思えないじゃない!」 「何でそうなるんだ! いいから黙って聞けよ」 「もう聞く必要無いわ! じゃあどうして涼子ちゃんの服が乱れてるのよ? もう確定よ! 発足早々性犯罪者を出すなんてあたしも焼きがまわったものね、ジョンは有罪! 死刑確定!」 「アホか、そんなもん状況証拠にもならん。俺は何もしていない。アレは朝倉が勝手にやったんだ!」 くそう。バカだとは思っていたが、ハルヒがここまで話のわからん奴とは思わなかったぞ。 「アレってなによ?」 「ああ?」 「あたしはまだ、ジョンが涼子ちゃんを襲ったとしか言ってないわ。あんた何やったの?」 「だから俺じゃねえよ!」 俺とハルヒが睨みあっている横で朝比奈さんが朝倉に聞いた。 「あの、朝倉さん?」 「はい?」 「その、何をされたんですか?」 俺とハルヒも一時休戦してその話に耳を傾けた。 「えっと、本当に『された』んじゃなくて、わたしの方から」 「あ、いまのは丁寧語です、日本語って紛らわしいですね」 いや朝比奈さん、そこで笑顔で皆を和ませるのもどうかと思います。 朝比奈さんの笑顔で毒気を抜かれたようになって朝倉は言った。 「あの、わたし、ああいう風に人に思われてるのが我慢ならなくて、人を襲うような武器なんて持っていないことをキョン君に示すために……」 「示すために?」 朝比奈さんが聞き返す言葉と共に俺以外の全員が朝倉の次の言葉に集中した。 そして、朝倉は言った。 「わたし、服を脱いだんです」 「……」 言った。 それは全世界が停止したかと思うような沈黙だった。 いやそこまでではないが、とにかくそれはかつてハルヒがSOS団の活動内容を発表した時よりも痛々しく、嫌に生々しい沈黙だった。 たっぷりと、俺の体感的には即席麺が食べ頃になるくらい沈黙したあと、微妙な表情をしていたハルヒがゴホンと咳払いをしてから居住まいを正し、正面に向き直った。 「良くわかったわ」 「判ってくれたか?」 「ええ、涼子ちゃん、こんな奴庇うこと無いわよ」 はぁ? 庇うってなんだよ、全然判ってないじゃねえか。全然だ。 「こら、ジョン、いい加減認めなさい、涼子ちゃんがこんな穴だらけの言い訳してまで庇ってくれてるのに申し訳ないと思わないの? いま白状すれば一生超SOS団の使いっ走りくらいで許してあげるわ」 こいつはバカなだけじゃなくむちゃくちゃ頑固だな。それにその判決はちっとも軽くないぞ。 「いえ、わたしは」 朝倉が言葉を続けようとしたが、俺はそれを遮って言った。 「いい加減にしろよ、朝倉も朝倉だ、なんだよその言い方は。ストレートに程があるぞ、もっとマシな言い方が無かったのか?」 人の話を聞かない唐変木に俺は苛立っていた。だからつい隣に居た朝倉にも八つ当たりしてしまったんだ。 「なっ、じゃあ、他にどんな言い方があるっていうのよ? 正直に事実だけを述べようって言ったのはあなたじゃない!」 朝倉は俺の苛立ちをキャッチしたかのように反撃してきた。 それが売り言葉に買い言葉となり、思わずカッとなった俺と朝倉の口論はエスカレートした。 「言ったには言ったがなあ、あれじゃ本当におまえが言い訳してるみたいじゃねえか。言葉だけ事実でも伝わらなきゃ意味無いっての。優等生のくせにそんなことも判らないのか?」 「そんなこといったらあなただって結局わたしから言わせて殆ど自分で話して無いじゃない! なのにそんなこと言われるなんて心外だわ」 「それは状況を見て朝倉が話したほうがいいと思ったからだ。失敗だったがな!」 「失敗ですって?」 「ああ、失敗だ。おまえがプライドばっかりで使えない奴だって判らなかったのが」 「悪かったわね! あんなことするんじゃなかったわ。どうせまだ信じてないくせに!」 「信じたさ。プライドのためなら男の前で平気で裸になるような変な奴だってことをな!」 「なんですって!」 「なんだよ!」 最後は殆ど子供の喧嘩だった。 あとで思い出すとまるで痴話喧嘩のようなその口論を止めたのは、バン! と、パスタの大皿が飛び上がる程テーブルを振動させてハルヒが打ち下ろした右手だった。 ハルヒは怒ると騒がしくなる奴だが、このときそれも度を超すと逆に静かで重くなることが判った。 「……」 なんていうか目が据わっていた。 冬なんで窓も閉まってるし、クリスマスソングのCDも止まっていて、エアコンの微かな音だけが響く中。 そこに居たメンバーは誰一人口を開こうとしない。 笑顔だけででムードメーカーになりうる朝比奈さんも身を縮こまらせているし、なにかと口出ししてきそうな鶴屋さんは面白がっているのかもしれないが今は傍観を決め込んでいる。長門は言うに及ばず、古泉は微妙な笑顔がいつもより4割ダウンだ。 そんな皮膚に突き刺さるような痛い沈黙を最初に破ったのは、この緊張した雰囲気の根源たるハルヒ自身だった。 「……帰るわ」 「おい?」 やにわに立ち上がり、ハルヒはそのまま朝比奈さんと古泉の後ろを通り部屋を出て行った。 俺も慌てて立ち上がり、ハルヒの羽織っていたジャンバーを部屋の隅で拾ってから後を追った。 ハルヒには玄関のたたきのところで追いついた。 振り向いたハルヒの目はもう据わっていなかったが、無言で俺を睨み、差し出したジャンバーを受け取ってからポツリと言った。 「うそつき」 俺は、はっきりと拒絶の意思を主張するハルヒの瞳の中に、世界に絶望したような色を見た。 |